風木部

溺愛「風と木の詩」

風と木の詩その27 第五章セルジュ⑥


まるで導かれるようにアスランのピアノの前に立ったセルジュ。

そのピアノを弾く事によってセルジュの深い悲しみは次第に癒されたのです。



子爵家の後見人の肩書を得た伯母は、派手な社交パーティーを開催するようになりました。

サロンの評判というのは女主人の才気や知性といった魅力がものを言いますが、この伯母さまではねー。

社交界の話題にはそれほどならないでしょうね。



ある時、セルジュが弾くピアノの優しい音に惹かれた客が口々に褒め称えるのを見た伯母は、この子のピアノ人を呼べるわねと思いついちゃう。




まったく、なんでこんな人がアスランの姉なのか
呆れるわー


このメイドさんはセルジュがかわいそうでならないんです。

執事のクロードを筆頭におばあさまがセルジュの為に選んだ使用人たちは、これまでずっとこのリザベート伯母からセルジュを守ってきました。

それはやっぱり義憤に駆られてるのもあるし、この人たちの人柄が良い事もあるし、セルジュが成長すればきっといい当主になるだろうとか色々な思いがあるんだけど、みんなセルジュが好きなんですよね、きっと。

海の天使城で、ジルベールがほったらかしにされて部屋なんか物が散らかって汚かったのとは対照的です。
 


 
けなげなセルジュ



困惑する使用人たちに対してランジール医師は、これからも一緒に暮らしていかねばならない相手だから打ち解ける事も大事だが、本人次第ですなと難しい顔です。

しかしセルジュは自ら伯母のパーティーでピアノを弾く事を申し出ます。

この伯母にはさんざんな目に遭って嫌な体験をしてるのにね。

伯母の思惑はともかく手を差し伸べてくれたのだから答えたいといういじらしさ、心根の良さ、泣かせるのね。
 


 伯母の目論見は成功します



 
まだ5歳の子供の素晴らしい演奏に客は喜び「ブラボー!天才だ!!」と賞賛されたのです。

これはね~、ちょっとバトゥール家のサロンに行ってみたくなるね。

社交界への野心にセルジュを利用する伯母と父譲りの豊かな才能を見せるセルジュ。

伯母の期待に応えた事で二人は上手くいくのかなと思うけど、そうはいかないのです。
 
 



 子供に暴力はいかん


セルジュの肌の色をよく言わない人もいるのです。

ピアノの才能と肌の色は関係ないのに、おおいに関係してると考えてる人間もこの時代だから大勢いるわけです。

伯母はセルジュが褒められた時は鼻高々なんだけど、肌の色を侮辱されたりすると自分が恥をかいたと怒り出して、セルジュに当たり散らすのね。

思えばセルジュはこの後もジルベールのわがままに随分と翻弄されるんですが、この頃からもうこんな苦労をしてたんだねー。




伯母のようにすぐ感情を露にする人は、いい大人なのにちょっと幼稚に見えてしまいます。

子供は身近な大人の影響を受けますから、これをいちいち気に病んでたら、同じように感情的な人間になってしまった事でしょう。

セルジュがそうならなかったのは、セルジュにはピアノがあったからです。

セルジュにとってピアノは、俗世の嫌な出来事も悲しみも忘れさせてくれます。

ピアノを弾くとネガティブな感情から身を守り、心をフラットに保つ事が出来たのです。

けれども決して精神的な逃避ではありません。

それは両親の深い愛に包まれ育ったセルジュの、今はまだ行き場のない豊かな愛情が、ピアノから溢れてくるかのようでした。

その愛は今はまだ漠然としていて、行き着く先を求めていました─────
 
 





ルイ・レネは噂を聞いてセルジュに会いに来ました



やがてセルジュは7歳になりました。

気まぐれな世間は一時はセルジュの才能に夢中になりましたが、もお飽きちゃって・・・話題にもならなくなりました。

セルジュにとってはその方がいいのだけど、伯母は相変わらずで・・・




ある時、夜会に今をときめくピアニストのアンドール・マレエを招待します。
 
その取り巻きの中になんと、アスランの親友だったルイ・レネの姿がありました。

伯母は有名ピアニストにセルジュを弟子入りさせて世間をあっと言わせたかったのです。

なんか卑しいのよねぇと冷笑する人たちは、セルジュの肌の色まで同様に蔑みました。

けれどセルジュはそんな声には耳を貸さず、ピアノを演奏する時の心は常にとてもクリアでした。

ルイ・レネにはセルジュの演奏の素晴らしさがわかりました。
 
 
 
 純粋にいい演奏が出来たと喜ぶセルジュと伯母の温度差



アンドールはセルジュの才能を認めはしました
が、弟子にする事は拒みました。

弟子入りなんて伯母が勝手にした事でセルジュはもちろん知らなかったのです。

が、さっき美しいピアノを奏でた人が肌の色を問題にしたと知ってショックを受けてしまいます。

セルジュは今まで肌の色で差別されたって、卑屈になる事もことさら構える事もしなかったんですよ。

けどこの時は悔しくて一人で泣いてしまいます。
 
 

そこへ、こっそりとルイ・レネがやって来てセルジュを慰めてくれるのです。
 
 
 
君の考えが正しい。世間は正しくない事がまかり通るんだから気にするな。と慰めてくれたルイ・レネ



ルイ・レネはアスランの忘れ形見であるセルジュを前にして、万感胸に迫るものがありました。

彼の過ぎ去った青春の輝きの中には、いつも共にアスランの姿があったのです。

 

もちろんセルジュは何も知らないんだけど、アスランのピアノのライバルであり親友でもあったルイ・レネ。

コンセルヴァトワールへ入学する位優秀で、プロのピアニストを目指していたはずですが、どうやらパッとしなかったみたい。

母校で教師になるらしい。

厳しいのお。





子供というのは、こうやって影ながら大人が見守ってあげられるといいんですよね。
 
 


 
アスランが駆け落ちの時も携えてきた大事な鍵盤が



セルジュが9歳になる頃には、かつての使用人たちもやめてしまっていてセルジュは寂しそうです。

リザベート伯母の威勢に押されちゃったのね。

この家もセルジュが初めてやって来た時とは、すっかり様変わりしてしまいました。

伯母の使用人たちに取って代わられ、亡くなったおばあさまの遺品などもどんどん燃やされてしまいます。

そのごみの山の中にセルジュは練習用の鍵盤を見つけます。
 
 

 
 母がセルジュの為に送ってくれた荷物の箱
それは貴族の家には貧しい品かもしれないが、母の愛がこもっていた



そして、アスランの日記帳も。
 







もしも世の親たちが子らに最も価値ある物を残すとしたら────親たちの試行錯誤の記録こそ何物にも勝る宝になるだろう


それを信じて我が息子セルジュに短い私の青春を送る


───可能な限りの愛をこめて───








アスランはどんなにか息子と共に生きたかった事でしょう。

共に生きて息子に教えるはずだった事を日記帳に書き残したのです。

そこにはアスランの青春が、短いけれど懸命に生きた人生がありました。


喜びも悲しみも希望も絶望も何もかも包み隠さず書かれた、息子への愛に溢れた日記帳。

セルジュは父の愛を感じながらそれを読み、大きくなっていったんだね。
 
 
 

 
セルジュとアンジェリンの出会い


とは言え両親も祖母も亡くなり伯母からは疎まれて神経をすり減らすような生活の中で、セルジュは一人心細くなかったでしょうか。

そんなセルジュの心を癒すように突然天使のような少女が現れます。

アンジェリンという5歳の彼女はあろう事か、あのリザベート伯母の娘なのです!

えーっ?!

今までは母親と離れて暮らしていたけど、今日からここで一緒に暮らせるのと無邪気に話しかけるアンジェリン。

伯母はどうやら家族も子爵家に呼び寄せたようです。
 



 あの伯母にこの子?!

まだあどけない可愛らしい様子に、セルジュは人の世の不思議さを感じずにはいられませんでした。


 
 天真爛漫なアンジェリンと過ごした日々



アンジェリンはとても快活で、一緒にいるだけで元気がもらえるような生き生きした少女です。

子供は成長と共に同じ世代の子供と一緒に過ごす時間が必要になって来ます。

セルジュはアンジェリンによって、忘れてた子供らしい楽しい時を持つ事ができたのです。




しかし月日が巡り二人が思春期に入る頃になると、アンジェリンはセルジュに恋心を抱くようになります。


 セルジュは12歳、アンジェリンは9歳です



それはとても激しく一途な恋情でした。


女の子の方が早く大人になりますもんね。



この頃になるとセルジュの周囲には、彼を中心として若者が集まるようになりつつあります。

いずれは正式な子爵となる彼の人脈に連なりたいんだろうけど、セルジュに狙いをつける女子とかもいて、アンジェリンは気が気じゃなかったのです。

伯母はホラ、財産目的だからアンジェリンがセルジュのフィアンセにでもなれば願ったり叶ったりじゃない。

でもアンジェリンの場合は真に純粋な恋心なのですが、一途に思い詰め過ぎて発作的にボートから水に飛び込んでしまったのです。

う~む、お騒がせな。



セルジュは彼女の激しさにビックリ仰天しながらも、すぐに飛び込み救出しました。

激怒した伯母は、アンジェリンが水に落ちたのはセルジュがキスしようとして船のバランスが崩れたからだろう。少し早いけど結婚すると言うなら許してあげる(内心シメシメと思ってるって)とか言うわけです。

セルジュは嘘はつけませんから、アンジェリンの事はただの妹として愛していると答えるんですが、そんな言葉では伯母は許しません。




 伯母が一番悪いと思うな


セルジュに折檻する母親を止めに入ったアンジェリンは、暖炉の炎が髪に燃え移り大騒動になってしまいます。




 アンジェリンは顔に火傷を負ってしまいます



こんな少女が顔面に火傷を負うなんて悲惨過ぎます。

セルジュは責任をとってアンジェリンの婚約者になろうとします。

けれども、この誇り高い少女はそれを認めませんでした。



母に責められて私を愛するというのか。

そんな誇りを捨てた人間は嫌い。

そして憐れまれるのは死んでもいや。



セルジュを愛するアンジェリンは、心ではセルジュに側にいて欲しいと願いながら真逆の事を言います。


一緒に暮らしたらあなたを怨んでしまう。

だから出て行って。






 セルジュはバトゥール家を出て寮に入る選択をしました




人を怨んで生きるのは確かにつらい事です。

セルジュは自分の無力さを痛感し、アンジェリンの望み通り屋敷を出ていく決心をしました。

こうして、セルジュは父が学んだラコンブラード学院へと旅立ったのです。










セルジュの生い立ち編はこれにて終わりです。

この中で重要なキーアイテムは「ピアノ」と「父の日記帳」です。

この二つは亡き父からの最大の贈り物でした。

しかしながらセルジュは、同時に父からの負の遺産も引き継いでしまったように思うのです。

アスランと高級娼婦だったパイヴァとの、身分を越えた恋は実に劇的で美しく、それはセルジュにとっての誇りでもあります。

けれどもアスランには望まぬ死が訪れます。

それはまだ23歳の若者にとって無念以外の何物でもなく、死を目前にして再会したバトゥール子爵を前にしてそれは語られます。

アスランは心の中ではずっと葛藤していたと思うのです。

自分が手に入れた幸福と、自分がした事は本当に正しかったんだろうかという思いの間で。

自分が駆け落ちしたせいで両親や子爵家がどんなに大変だったか、どんなに迷惑をかけたか、どんなに悲しませたか。

セルジュを見てると、そういう父の罪の意識や後ろめたさをそっくり引き継いじゃったように思うんです。





さてセルジュとジルベールの過去編が見終わったので、物語は再びラコンブラード学院へと戻ります。