娼婦であるパイヴァと恋に落ちたアスラン。
アスランはこの時18歳。
父親のバトゥール子爵からパリの屋敷を譲られたばかりで、来年は大学に入学し、いずれは父の跡を継ぐ、その前途は洋々たるものでした。
パイヴァは17歳でしたが、社交界の大物をパトロンに持ち大輪の花を咲かせた高級娼婦でした。
社交界の大物ガルジェレ侯爵
二人の仲は社交界でも噂になり、彼女のパトロンであるガルジェレ侯爵の知る所となります。
遊びならともかく、娼婦に真剣に恋をするアスランに危惧を抱いたワッツとルイ・レネは忠告しようとします。
しかし彼女を忘れろと言う親友の言葉にも耳を貸さず、飲めない酒を飲んで二人に絡んだ翌朝、ルイ・レネからは苦言を呈されるのです。
坊やだからさ
「まわりにはいつも恵まれた環境しかなかったからと言って、世間もそうだと思うのは甘過ぎる」
アスランを甘やかすワッツと違い、耳の痛い事も言って戒めようとするルイ・レネ。
確かに純粋と言えば言葉はいいけど、あまりにも世間を知らな過ぎですよね。
恋愛の経験もない世間知らずなお坊っちゃんが、商売女に熱を上げて愛だの恋だの言ってる姿はちょっとあきれてしまいます。
アスランのような地位も財産もない平凡な庶民のルイ・レネは、ピアニストになるために必死に努力してるのです。
ルイ・レネがたしなめた後、ワッツは優しくゆっくり寝てけよ、と言って大学へ出かけます。
しかしワッツの部屋は寒く、アスランは自分がいかに恵まれていたのか気付かされます。
今まで見えなかったものが見えてくる
アスランは二人の親友から言われた事を冷静になって反芻してみました。
きみの行動には考えが無さすぎる。
両親や親族は世間の笑い者になり知人は離れて行くだろう。
しかも相手のパトロンである侯爵を怒らせたら、子爵家を潰すくらいわけないんだぞ(えーそうなの?)
きみの生活の保障はすべて父上の力なのに。
一方、パイヴァは侯爵から釘を刺されていました。
こわ
なるほど、あんな若僧に女を奪われたら自分の面子は丸つぶれですよね。
それに彼女には莫大なお金を使ってますから、自分の所有物だと思ってるんですよね。
自分の目を盗んで浮気したって別に構わないという言葉にも、愛情は感じられません。
しょせんはパイヴァは娼婦だから淫らな女なんだという蔑視を抱いておられます。
そしてこんな事を言うのです。
「あの若者もいつも通りくじけ去ってしまうのが関の山だ。おまえもそう思うだろう?」って。
つまり今までも何度もパイヴァに本気で恋をした男がいたけれど、侯爵の存在の大きさについえてしまったのだと、そう言うことですか。
実はパイヴァは決して高級娼婦としての享楽的な生活を謳歌していたわけではなく、むしろこの世界から自分を連れ出してくれる人を待ち続けていたのです。
パイヴァの持っている苦悩。
自分を娼婦というモノとしてしか見ない男への虚しさを抱えながら、それでも誰かを信じたいと願っていました。
けれど言い寄って来る男の気持ちなんてその時だけで、長くは続かない事を彼女は経験的に知っていました。
「それでもあの人は来るだろうか?」
もしそうだとしたら、アスランが自分の為に払わなければならない代価の大きさもパイヴァにはわかっていました。
あー、悩めるアスランよ。
そこへアスランのお父さんがやって来ます。
もちろん悪い噂を知り、娼婦と別れさせようと来たのです。
父の怒りは当然でしょう
アスランのお父さんはいつも厳しく高圧的ですが、アスランが可愛くないわけではなく、美しくて優秀な息子を誇りに思っていました。
だからこそ道を踏み外しそうな息子を元に戻そうと必死になって、怒鳴ったりぶったりおまえの権利を取り上げるぞと脅したりしてしまいますが、アスランには通じません。
彼女と結婚するとまで言い出してお父さんを落胆させてしまいます。
でも決して恋に有頂天になって何も見えなくなってしまったわけではないのです。
アスランは本当はピアニストになりたかったし、夢をあきらめたくはなかったんです。
けれどその夢は子爵家の跡継ぎにはふさわしくないとお父さんに大反対され、結果的にはあきらめた形になりました。
その事でお父さんを恨んでいるわけではないのですが、父の期待に背きたくないとか自分の義務だなどと考えていた自分自身に違和感を覚えているんではないでしょうか。
そのうえアスランは結核にかかり闘病生活を送った事で、普通の若者にはあり得ない生死にかかわるような体験をしました。
もしかしたら心のどこかで、自分はいつ死ぬかわからないと感じていたかもしれません。
今度こそは後悔するような事はしたくなかったんではないでしょうか。
両親も友だちも世間も正しい
だけど僕も同じように正しいんだ
親友からも父親からも反対され絶体絶命のアスランは、その苦しい胸のうちを理解してくれる人もない中でこう考えました。
僕は僕自身に正直な行動をとる───
今までは周りの人を気づかう優しかったアスランにとって、自分がやりたい事をやるという事がこんなにもつらいとは思っても見ませんでした。
そうしてアスランたら何をするかと思えば、侯爵と話したいとパイヴァの所へ堂々と乗り込んじゃったわけです。
堂々と略奪宣言
きみぃ、言葉を間違えとらんかね。
奪い取るんじゃなくて、下さいって言うべきじゃないかね。
侯爵ムッとしちゃうのね。
そしたら「あなたは彼女と結婚されてないのだから、僕にはその権利がありますよね」とか言っちゃうわけ。
いやいや、侯爵はさ彼女の生活をすべて面倒みてるんだよ。
でもアスランは愛情は力や物質とは比べられない。愛情には愛情でしか戦えない、とか言うわけですよ。
これはつまりアスランの、侯爵と自分がパイヴァへの愛情を賭けて戦おう宣言なんです。
でも侯爵にしたら、パイヴァがこれだけの贅沢三昧な生活を捨ててまで、こんな若僧を選ぶなんて考えられないから屁でもないのね。
もう笑い出しちゃう。
そんでパイヴァが君を選ばなかったら、君は何もかも失うんだよ、って言われるの。
まあ若干身体が震えておるようでしたが。
アスラン頑張りました。
二人が話す部屋の前で心配そうに待ってたパイヴァ
侯爵の言う通り、パイヴァがアスランを選ばなければ奪い取るも何もないんですよね。
でもパイヴァが自分自身で侯爵を選ぶと決めたらそれはそれでいいんです。
アスランが不本意なのは、自分の為にパイヴァが身を引いてしまう事でしょう。
何があっても自分の幸福だけを願い続けて
会えない日々、パイヴァはアスランの言葉を噛みしめます。
ここはお互いの意志の疎通を取りたい所ですけど、満足な連絡方法もない時代ですから。
相手を信じるよりほかありません。
アスランから毎朝2輪の椿の花が届きます
おわかりと思いますが、この物語は「椿姫」のオマージュとなっております。
アスランが恋に落ちた時もオペラ座に「椿姫」を見に行ったんでしたね。
「椿姫」は説明する必要ないくらい有名ですが、フランスの作家デュマの小説で、1853年ヴェルディによってオペラ化されました。
パリの高級娼婦ビィオレッタが、青年アルフレードの純粋でひたむきな愛情にあい真実の愛に目覚めるが、アルフレードの父親から彼と別れる事を懇願されます。
愛と犠牲のはざまで、最後は一文無しになり胸を病んで死んで行くめちゃめちゃ哀れな娼婦の話。
椿の花は、19世紀のフランスでも椿姫のヒットでわかるように女性のアクセサリーとしてもてはやされ高価な物でした。
アスランは椿の花に、二人の恋を椿姫のような悲劇にはしないと願っていました。
そうは言っても彼女と結婚する為にはどうしたら良いのか、まだこの時点ではわからずにいました。
おまけに病弱なアスランの身体は疲れやすく無理はできません。
以前はワッツとよく顔を出した下町を通ると
ひどい言われよう
憧れの貴公子じゃなかったっけ?
お母さんまでひどい悪口を言われてるので抗議しようとしますが、アスランはパイヴァの事を思い耐えます。
そんな中、お父さんとお母さんからアスランに手紙が届きました。
もう読まなくても内容はわかってるし、屋敷の使用人までアスランに対して冷たい態度を取るしで、アスランの憔悴ぶりがちょっと見てられません。
その手紙には一週間やるからキッパリ女と別れろ、できないならパリから連れ戻すという父親の強い決意が書いてありました。
二人は命懸けで侯爵のもとを脱出し、スイスへと落ちて行きました。
愛の為だけに生きる事の激しさを感じさせるこの結末に、残された人たちはただあっけに取られてしまいます。
しかしアスランの高潔な人柄を知っている親友の二人は、彼は進んで未来に戦いを挑んだのだと認め合いました。
でも自分は懐疑的です。
アスランは本当に幸せになれるのかな。