1865年10月。
18歳のアスランはパリの屋敷を正式に相続しました。
かわいいだんな様だね~
この若すぎる当主に周囲からは不安の声もありました。
でもアスランのお父さんは、優秀だけどいい子過ぎて世間ずれもしてない息子に、早くしっかりして欲しかったんじゃないですかね。
けどその思いとは裏腹に、死を脱する代わりに音楽を失ってしまったアスランの心は、ずっと何かを求めるようにうずいていました。
今まではひたすら勉強に打ち込む事で誤魔化していましたが、こうして父から自由を与えられると今度は何をしたらいいのかわからなくなってしまったのです。
自由で金もある生活は退屈だなどと言い出すアスランに、ワッツは贅沢者めと怒りだします。
そして社交術は俺に任せろとばかり、ワッツはルイ・レネとアスランを連れてオペラへと出かけました。
サロンや晩餐会だけでなく、オペラを観賞したり競馬観戦に行く事なども社交界の一種です。
でもアスランやルイ・レネと違い、音楽には興味ないワッツはすぐに飽きてしまいます。
ある時、アスランはルイ・レネをピアノコンサートに誘いますが、自分は聞き手じゃなく演奏者になりたいから遊んでばかりいられないと断られてしまうのです。
アスランが病気になるまでは二人はライバルだった
アスランはルイ・レネに「謝ったりするな」と言って部屋を後にしますが、自分自身へ憤りを感じていました。
かつて、アスランが抱いていた希望や夢。
できる事なら変わらずあの頃へ戻りたかったけれど、療養所にいる間についてしまった自分とルイ・レネの差。
それぞれの道はもう隔たりがあって、音楽を聞くにも目的のあるルイ・レネと、目的のない自分の違いに今さらながら気づいたのです。
ルイ・レネは音楽の道を行く。
でも僕だって、この世界に自分が歩いて行く道をきっと見つけてみせる!
きっと。
って強く念じながら、
街を疾走するアスランを追いかけるワッツ
「生きてることに自信があるかい?」
そう言った時のアスランの顔見てみ。
こんな表情で見られたらワッツもかなわないよ。
冷静で思慮深いルイ・レネと比べて、直情的なワッツはいつもアスランに甘いんです。
「もちろん!ない」
ワッツの返事もいい。
だからアスランはそれを聞いて、思わず泣き出しちゃう。
「バカー、こんなとこで泣くなー!
誤解される!」
昼日中に、往来で18にもなる男子が泣くとかある?
アスランは阿呆ではない。
アスランは少年のように純真なのです。
音楽に未練がないと言ったら嘘になるけど、それを感じさせないくらいアスランは明るく振る舞っていました。
でも生きているだけでいいと思っていた時期は過ぎ、生きる事の意味を再び求めていたのです。
笑顔が似合うアスラン
ワッツはアスランに、人生は楽しい物だと教えたかったんじゃないかな。
無頼漢ぶったワッツに連れ歩かれるうち、下町あたりでは憧れの貴公子として見られるようになったりもします。
子爵様の御曹司だし、美形だし、まっ当然だよね。
そして、そんな時にアスランは運命の人と出会ったのです──────
それは、ワッツと出かけたパリのオペラ座。
ヴェルディの椿姫の幕間に、彼女はすべるように階段を降りてきました。
ズキッ♡
胸を貫いた恋の痛み。
一目惚れでした。ふふっ。
自分は一目惚れとかした事、一度もありません。
相手がどんな人かも知らないのに顔を見ただけで好きになっちゃうの?
アスランは席に戻ってから、さっきの女性がどこかにいるはずと夢中で探します。
すると幸運にも向かい側のボックス席に彼女の姿が。
アスランのテンションMAX。
ところが、アスランが熱く見つめる中へんなじいさんに連れられ、彼女は退出してしまうのです。
アスランが生きたこの時代、フランスはナポレオン三世の第二帝政時代です。
日本は幕末です。
近代的なブルジョワ都市として発展したパリでは、デパートが開店し、オートクチュールも始まり、ルイヴィトンもオープンしました。
この時代の女性のファッションを特徴付けるのは、「クリノリンスタイル」です。
「風と共に去りぬ」の映画の前半でスカーレット・オハラが着てたヤツね。
コルセットでぎゅうぎゅうウエストを絞る有名なシーン
「風と共に去りぬ」は1860年代の南北戦争前後のアメリカ南部が舞台ですが、この黒人のメイドさんが好きでした。
スカーレットは、この後ふんわりとしたシフォンの軽やかなドレスを着てて綺麗でしたねェ。
クリノリンスタイルのドレスは、ウエスト周りはすっきりしながら裾が非常に広がっています。
この円すい形のシルエットのスカートを膨らませる為に、中にクリノリンというペティコートを着けました。
【Wikipediaより】
スカートの中はこんなの
見た目はいかにもお姫様みたいで華やかだけど、これって動きづらくなかったんでしょうか。
すごく場所を取りますよね。椅子とかどうやって座ったんだろ。
以上余談ですが、この後大変な事実が発覚するのです。
彼女に会いたさに思い詰めたアスランは、パリの上流階級の人間が集まるあらゆる場所へ行ってみます。
見かねたワッツがアスランの為に調べてくれたのですが、彼は暗い顔でお前にはふさわしくないからあきらめろ、と言うのです。
彼女は淑女なんかじゃない!
彼女はパイヴァという名の高級娼婦で、一緒にいたじいさんは彼女のパトロンのガルジェレ侯爵でしたのよ。
娼婦と言っても、この時代のフランスでは一概にひとまとめにはできません。
娼婦のランクは「クルティザンヌ」という高級娼婦が最上級に位置し、その下に娼婦として届け出がしてある公娼や非合法の娼婦などがいました。
高級娼婦っていうのは、客を取るわけじゃなく愛人としてお金持ちのパトロンを持ち、社交界へも顔を出します。
パイヴァはこの「クルティザンヌ」なわけです。
フランスでは庶民であろうと、美貌と財力とエスプリがあれば貴婦人として扱われます。
貧しくたってクルティザンヌになれば、豪華なドレスを身にまとい、高級なワインを開けて贅沢三昧。
そして最終目的はサロンを開催する事です。
自分が女主人となって社交界の人たちを招くわけですから、知的な会話、フランス人のいわゆるエスプリに富んだ会話っつーものが不可欠なわけですから美貌だけじゃ駄目なんですよね。
しかしながら娼婦という境遇にある人が、堂々と表舞台に登場してくるのを許容するフランス人て、さすがアムールの国だわ。
ワッツはアスランの為に彼女の事はあきらめるよう忠告しますが、アスランは耳を貸しませんでした。
ある日、アスランは偶然にも下町で娼婦たちが集まっている場に遭遇します。
その中心には彼女、パイヴァが。
アスランは娼婦たちと言葉を交わしますが、偏見を持たないアスランは、彼女たちと世の中で淑女と呼ばれる娘たちとに違いがあるようには感じませんでした。
アスランは姉から数多くの娘を紹介されましたが、人形のように化粧をして媚びを売る姿からは、おしゃれしたりおしゃべりするだけの怠け者にしか見えず、真の淑女なんているのだろうかと幻滅していたのです。
アスランは溢れ出す思いに何も考えられず、その場でパイヴァに愛を告白してしまいます。
普通なら嬉しいと思うけど、なぜかうかぬ表情
でもパイヴァは節度ある態度で断ります。
アスランのようにしつけのちゃんとした家の子息が娼婦相手に身分を明かして談笑したりするもんじゃない、とか言ってくれるからパイヴァの好感度上がる。
ところがアスランときたら、もーねー止まらないんですよ。
パイヴァという人は、ジプシーの混血で両親は既になく14歳でパリに流れて来ました。
パイヴァの思い出は、女手一つで育ててくれて結核で亡くなった母親との暮らしが、貧しくても幸せだった事。
しかし恐らく漂泊しながら舞踊などで生計をたてる事は、つらく厳しい物だったと思います。
恵まれた環境のアスランなどには計り知れない苦労をしてきてるのです。
でもアスランが惚れるだけあって、クルティザンヌとなって大出世してもきれいな心を持ってたのです。
ジプシーの混血である彼女の肌は褐色なわけですよ。
これはかなり目立つ存在です。
彼女の肌の色を馬鹿にする人もいるでしょうが、アスランの目にはエキゾチックな東洋の女神みたいに見えちゃうわけね。
で、次に会えた時にはあなたのその肌の色が素敵で、とかグイグイいっちゃうのね。
口説こうとか、もうちょい段取り踏んでとか、なんの斟酌もないのよ。
子供がお母さんあのねあのね、って止めどなく喋るみたいな。
娼婦に自分を大切にしろとか大真面目に言う子
ですがこれは困った事になったもんです。
お父さんはアスランに男だから社会勉強も大事だって、寛容な態度でいてくれたのに。
その後、くれぐれも道を踏み外すような事はするなよって釘をさされたのを忘れちゃったの?
ばれたら勘当されちゃうかも。
二人の仲はすっかり噂になってしまい、ついにパトロンであるガルジェレ侯爵の耳にも入ってしまったのです。