風木部

溺愛「風と木の詩」

風と木の詩その44 第六章陽炎⑯

ジルベールの叔父貴が婚約したんだって・・・
相手はさる子爵家ゆかりの少女らしい・・・
 
 
セルジュは食堂でそう小耳に挟み「そんな馬鹿な」と愕然としながら、先ほどクルトから手渡された手紙を思い出し確認してみるのです。
 
手紙はやはりアンジェリンからでした。
 
 

 
 
 
 
セルジュ
あの人と婚約することになりました。
母さまのすすめです。
婚約は内諾でお披露目もありませんが
結婚は15になったら、とのお約束です。
あの人は好きです。
セルジュ
あなたほどではないけど・・・
 
 
 
何も知らないアンジェリン。
 
オーギュストがどんな人間か、いつか話さねばならぬと思っていたのに、それが予期せぬ早さで現実となりセルジュは憤ります。
 
アンジェリンになんとしてもこの結婚は止めさせなければと考えるのですが。
 
「でもどうやって?」
 
リザベート叔母なんてもう喜んじゃってるに違いないし。
 
 
一体オーギュストはどういうつもりなのだろうか?
 
ジルベールがこれを知ったらどう思うか?
 
 
セルジュはそこで初めてジルベールに思いが及びます。
 
ジルベールは結局あれから食堂にも来なかったのです。
 
 
 
 
セルジュは急にジルベールが心配になり慌てて寮へ駆け戻ってみると、部屋には誰もおらずセバスチャンがくれた砂糖菓子だけが床に転がっていたのです。
 
砂糖菓子が包まれていた新聞紙には「オーギュスト・ボウ婚約!」の記事が掲載されていたのでした。
 
 
 
 
セルジュはオーギュストの陰湿で理解しがたいやり口に頭を抱えてしまいます。
 
彼がアンジェリンを愛しているとは思えず、ただジルベールを苦しめるために婚約をしたとしか思えませんでした。
 
オーギュストはジルベールが自分の手の中に戻るまで、いつまでも嫌がらせのようにして彼を苦しめるのでしょう。
 
オーギュストの婚約を知りショックを受けたジルベールは、恐らくマルセイユに戻るつもりに違いありません。
 
でも、戻ったら・・・
 
セルジュの中ではもうオーギュストは悪魔のようにしか思えないのです。
 
ジルベールをオーギュストになど渡してたまるか!
 
そんなことはさせない!
 
させるもんか!
 
 
 
 
さてこの時代、移動手段は汽車と馬車でございます。
 
マルセイユへ行くには汽車で最寄り駅のサン・クライザール駅からアルル駅へ行き、そこからマルセイユ行きへ乗り換えるのです。
 
ジルベールがここを出たのが6時とすれば、サンクライザール駅からアルル行きの汽車はもうありません。
 
彼が馬車代を持って出たとは思えないから、アルルまで徒歩で4時間の道のりをジルベールは歩いているのではないか。
 
と、セルジュは推察しなんとしてもアルル駅へ向かう途中でつかまえねばならないと思うのでありました。
 
 
だが、学校を脱走したジルベールを追いかけて連れ戻して来るというセルジュの言葉にクルトとネカーは難色を示します。
 
ジルベールが脱走するなんていつもの事だ。
 
だがあいつはいつだって特別扱いで罰なんて受けない。
 
脱走の罰で鞭をくらうのはセルジュだけで、そんなの馬鹿な話だと言うのです。
 
学校を脱走する事は重大な違反ですから、クルトが止めるのはもっともです。
 
しかし、今回は違う。
 
セルジュだけはそれがわかっていました。
 
オーギュストの元へ戻ってしまったら、ジルベールはもう二度と学校へは帰らないでしょう。
 
セルジュの必死の訴えに彼らも譲歩するよりありませんでした。
 
彼らが協力しないと言ってもセルジュはやるに決ってますから。
 
 
 
パスカルもやって来た!
 
 
皆に緊張が走ります。
 
じきに就寝前の点呼が始まります。
 
その後消灯までの間に監督生が見回るので、クルトがセルジュの部屋で寝ているように見せかけると決まります。
 
クルトはパスカルと同室なのでそっちはパスカルが誤魔化す事に。
 
セルジュは寮の庭から裏の林道へ降り、学校の外を回って街道へ出る手筈です。
 
 
 
縄を伝って飛び降りるというね。
 
これは危険です。 
 
しかもこの時は風も強いのです。
 
出ようとする時パスカルはセルジュを引き留め、カールの下宿に寄ってから行けと言いました。
 
焦るセルジュはそんな時間はとても取れないと言いますが、パスカルは「ここでカールに話さなかったらお前とカールの仲は終わりだぞ」と強く言うのです。
 


でもカールに話したら止められるに決まっている・・・
 
そう思いながらもセルジュはカールの下宿へ寄りました。
 
 
 
 
 
なかなかこれは、カールの立場からすると難儀な事かもしれません。
 
セルジュも必死でした。
 
しかしカールは気弱かと思えばなんとも男らしく、つべこべ言わずすぐに状況を理解して動いてくれたのです。
 
見直したわ。
 
 
 
 
けれど強い風に阻まれて馬車がなかなかつかまらないのでありました。
 
しかも学生服姿だから子供だと思って侮られる。
 
カールはあきらめず、町はずれに行けば金さえ出せばどこでも行ってくれる馬車があるんだと言います。
 
しかし料金を倍にふっかけられてセルジュは腹を立てそうになります。
 
カールは冷静に足りない分はこれで払うようにと金まで用意してくれていたのです。
 
カールは町で一人暮らしをしているせいか市井の実情に通じていて頼りになります。
 
結局パスカルの言うようにカールの所へ寄ったのは正解だったのです。
 
 
 
 
アルル駅へ向かう夜の街道を飛ばす馬車。
 
でもセルジュは馬車に乗り込んだ安堵感でついウトウトしてしまいます。
 
なにやっとんねん
 
 
 
間一髪、轢くとこだよ。
 
夜道は人が歩いていても車からは見にくいから暗い服で歩いてはダメだよ。
 
しかしジルベールはこんな真っ暗闇の中を失意と傷心のまま歩き続けていたわけです。
 
 
 
 
 
セルジュは馬車を飛び降りてジルベールに駆け寄ります。
 
ジルベールはそっとセルジュの顔に手を伸ばし、そこに紛れもないセルジュの温もりを認め、そのまま抱きついて来ました。
 
 
 
 
 
手に握りしめているボロボロになった紙はオーギュストの婚約を報じた新聞でございます。
 
 
彼の華奢な体を再び抱きしめられた喜びにセルジュはようやく安堵します。
 
だが「帰ろう」と言うセルジュに反して、ジルベールは再び歩き出そうとするのです。
 
マルセイユへ帰る、と小さく呟いて。
 
 
 
 
「オーギュがぼくを捨てたら
誰がぼくを愛してくれるの?」
 
 
疲弊し、絶望感の色濃く漂う表情にジルベールの過酷な現実が浮き上がります。
 
ジルベールはこれまでずっと心も体もオーギュストに支配されてきました。
 
やはりその呪縛からは逃れられないのでしょう。
 
 
 
 
 
セルジュとジルベールがここまで魅かれあったのは二人が孤独だったからです。
 
けど決定的に違う事はセルジュは親の愛情を知っているけど、ジルベールはそういうものをまったく知りません。
 
孤独の質がまるで違うのです。
 
彼が抱える震えるような悲しみ切なさは、誰にも癒す事などできないのかも知れません。
 
 
 
 
 
それでもセルジュはジルベールに口づけます。
 
己の持てる限りの愛と優しさを込めて。
 
 
 
「新聞の社交欄なんていい加減だよ。嘘八百を書き立てるのさ。いつでもそうだ、よく知ってる」
 
セルジュは優しい嘘で、ジルベールを宥めます。
 
 
 
「オーギュは結婚なんかしない」
 
「そうとも」
 
「ぼくを愛してる」
 
「ああ」
 
 
 
二人のやり取りは、読み手の心にも非常な痛みを訴えかけてくるのです。
 
もー、切ねー!!
 
ジルベールの表情の一つ一つが切ねー!!!
 
 
 
こうして、セルジュはジルベールを連れ帰る事ができたのです。
 
 
 
クルトもお疲れ!
 
 
 
 
ジルベールの悲しみとセルジュの激情がとってもドラマチックに繰り広げられましたが、これで終わりではありません。
 
ジルベールを宥めるためについたセルジュの優しい嘘は、これからセルジュに重くのしかかって来ます。
 
セルジュはまだ、事の重大さに気づいていないのかも知れません。