風木部

溺愛「風と木の詩」

風と木の詩その22 第五章セルジュ①

さて、今回からセルジュ編です。

風と木の詩の主人公はジルベールだと思われてますが、主人公はセルジュです。

セルジュは貴族なのに浅黒い肌を持つ、正義感の強い真っ直ぐな心の少年でした。

セルジュはどんな幼少期を過ごしたのでしょうか?

その前にセルジュの父アスランの事を知らなければなりません。

作中で一番好感度が高い(おそらく)、誰からも支持されるであろう(多分)、正統派貴公子アスランの物語から始まります。





アスラン・バトゥール 18歳



1865年6月。

アスラン・バトゥールは18歳の誕生日を迎えました。

バトゥール家は、パリから程近いリアールに領地を持つ子爵家で、アスランはその跡取り息子です。




親戚一同が集まり盛大なパーティーが開かれていた


このパーティーの主役はアスランでした。

バカロレア試験に合格したアスランを、バトゥール家の栄誉だと褒め称えた父親によって、正式に長男として独立する事が告げられたのです。

一族からの称賛や羨望、普段は厳しい父親の誇らしげな様子に、アスラン自信も誇らしく感じます。

けれどもアスランの心の中はそれだけではなかったのです。



人前では明るく振る舞いながら、部屋に戻って一人になるとため息が出てしまいました。

今年の秋には、パリにあるバトゥール家の屋敷がアスランの為に明け渡され正式に独立する事となります。

当主ともなれば社交界のお付き合いも大事。

知的で洗練された会話や振る舞いが求められる社交術も身につけなければなりません。

アスランにはちょっと気が重くなる事でしたが、それは自分の義務なのだと考え直します。



古書店で見つけて気に入って購入した日記帳

それよりも、アスランはこの日記帳にこれからの自分のすべてを書き残そうと考えていました。

この日記帳は、この後セルジュに遺され幼くして父親を亡くしたセルジュの大切な宝物となります。

若くして亡くなる人は何か予兆のような物を感じているのでしょうか。

時間を無駄にしてはいけない。
後悔する事がないように書き記そう。 


そう思うのには理由がありました。



それは3年前の事でした────


ラコンブラード学院名物の陣取り合戦中の出来事



異変は突然やって来ました。

激しく咳き込んだアスランは血を吐いたのです。

無邪気に遊びに興じていたワッツ(現ラコンブラード学院の舎監の先生)やルイ・レネ(同じく音楽の先生)は仰天してしまいますが、アスランは喀血した事でピアノを弾くのを止められるんじゃないかと、そればかりをひたすら恐れていたのです。


アスランのピアノの才能は高く評価されていました



ラコンブラード学院のルーシュ教授(今でも音楽の教授)からは、パリの音楽院に行けると言われ、アスランは有頂天でした。

ところがピアノにかまけて学業が疎かになってしまい、優秀だった成績が低下。

それが父親の知る所となってしまいます。

アスランは音楽の道へ進みたいと訴えますが、お前は子爵家の跡取りなんだぞと、大反対にあってしまうのです。

アスランは本当にいい子なんだなァー、と思ったのは頑固親父に反論しなかった事ではなく、父親に背くまいとして必死に勉強時間を増やした事です。

そのうえルーシュ教授の期待にも応えようと今まで以上にピアノにも向かいました。


無理をし過ぎちゃったんだね。
元々そんなに丈夫な方じゃなかったのかも知れない。

そしてワッツやルイ・レネとの友情も大切にするアスランは、陣取り合戦なんつー乱暴な遊びにまで付き合ってたんです。


でも結核は当時まだ死病です。

「お前が無理してるのはわかってた。でもなんで身体の不調をほっといたんだよ!」
って、ワッツは怒っちゃう。

「父さんに怒鳴られて、自分が今まで何気なくやって来た一つ一つがどんなに自分にとって大切な事だったか気づいたんだ。その中のどれが欠けても僕は僕らしくなくなるんだよ」

と、悲観するどころか明るい顔をして語るアスランを見て、熱い男ワッツはなんか泣けてきちゃうの。


まだ若いのにアスランほど生死に悟りきった人は珍しいですよね。
それとも、若過ぎてまだ自分が死ぬ事への実感がなかったのかも知れません。


一方冷静なルイ・レネはワッツにこう言います。

「アスランは病気をちっともハンデだと思ってない。それどころか健康な者には感じられない物を感じとろうとしている」

いつも自分の事より他人を気にかける優しさを持ってるアスラン。
こんな美しい稀有な心映えを持つ人物は、きっと人生からも愛されてるに違いありません。

「だからきっと、アスランは帰ってくる。それを信じてスイスの療養所へ送り出してやろうよ」
 




チロルの山村にある療養所に一人やって来たアスラン


アスランは俗世のすべてから切り離され、超然として静かなチロルの山村にいました。



あらゆる時代のあるゆる人を蝕んできた結核ですが、なんでか今ではカッコいいイメージのある病。

まだ有効な治療薬のなかった時代ですから、結核療養所に入所しても薬があるわけでもなく、単なる患者の隔離なんですよね。

ただ安静にして病気の進行を抑える事しかないんです。



医師は、治そうと焦ったりせずゆったりした気持ちで山の美しさを眺めて過ごすのが一番だなどと言います。

アスランが心配な父親は、もっと確かな治療法はないのかと怒り出してしまいます。

するとこの医師は「安静とは何かわかるかね?」とアスランに尋ねてきます。




そりゃあそうだよね


まだ若い君のことだ。
どこへ行ってもこころを乱す出来事はあるだろう。
治るまでの間だけでもいい。
喜びも悲しみも、押し包んでしまえるようになりなさい。


とアスランを導いたのです。


その言葉は、心のどこかでもう治る事はないと覚悟していたアスランに希望を与えました。




アスランからの手紙を読む二人


二人はアスランより3歳年上ですが、善き先輩で善き友でした。

貴族のお坊っちゃんだけど、純粋で素直な人柄のアスランを二人は愛しました。





そんなある日の事、ワッツの所へ届いたアスランの手紙には小さな草の実が同封してありました。


その手紙には、両親も友人も呼ばず一人で療養する事がなぜ大切か今日始めて理解したよ、とありました。


やっぱ健康な人と会うと心が乱れるんだよ。


親切で療養所まで乗せてやろうとした地元の荷馬車のおじさんに、病人扱いされてイラっときたアスランは、つい「かまわないでください!」と言ってしまったんです。

すぐにあやまって乗せてもらったけど、アスランはみじめな気持ちになっていました。





帰りたい!思わず叫ぶアスラン


丈の高い草の中をどこまでもまっすぐ走って行くつもりで、泣きながら衝動的に走り出したアスラン。

でも途中で足をとられて転んでしまい我に帰ります。

そこは秋の寂しい草原で牛がのんびり草を食べていました。


そんな光景を見るうちに、なんだか自分が馬鹿らしくなって一人で笑ってしまったのです。



その草原で見つけた小さな草の実たち。

草の中に隠れて気づかなかったけど、たくさんの実がきっと春になったら草原の中から顔を出し、初夏には花が咲き乱れるに違いない。

この草原一面を花が覆い尽くす光景を、アスランは見たような気がしました。


花が咲き、花が散り、秋には実がなり、枯れて、また花が咲き、自然の営みは人知れず繰り返し、それは人には抵抗し得ない摂理です。


自分は何を焦っていたのか。

大自然の前では小さな存在でしかないのに。





そしてその夏、ワッツのもとへたくさんの押し花が送られてきました


アスランが思った通り、その夏草原は一面の花に包まれていました。

その花の中で、きっと次の年も生きるとアスランは誓ったのです。




ワッツとルイ・レネの卒業は近づいて来ました。

ワッツはパリの大学へ、ルイ・レネは憧れのコンセルヴァトワールへ。

進む道は違っても二人のアスランへの友情は変わりませんでした。




そうして療養して1年が過ぎる頃、ついにアスランが帰って来たのです。

しかしこの病気は完治というわけにはいかず、無理をすれば再発してしまいます。

もう以前のようにはピアノが弾けないアスランは、音楽家への道は諦めざるを得ませんでした。



アスランは学院へ戻りました。

ピアノへの道が閉ざされても相変わらずがんばり屋の彼は、勉学に励みました。

そんな彼は、学院の中では目立つ存在でその人柄もあり人気もありましたが、上級生の中にはよく思わぬ者もいたのです(出たよ〰️)




上級生から呼び出されリンチを受けるアスラン


成績優秀で早くも来年のバカロレアを受けるアスランを、嫉妬した上級生が呼び出したのです。

暴力には慣れてないアスラン。

でも勇気を振り絞り、自分がすべてを急ぐのには理由があるのだと言います。

しかし人間の悪意に晒されるような経験は、この時が始めてじゃないでしょうか。


 

そんなアスランを助けてくれたのが───


おおっ!!オーギュ出た

影の大番長オーギュストでした!!


オーギュストはアスランとは同年齢で、この時すでに学院を牛耳り、取り巻きを引き連れては肩で風を切って歩くような存在でした。


もちろん美少年で、年に似合わぬ堂々とした態度と迫力で、上級生をアゴで使っていますwww


成績もアスランとしのぎを削るほど優秀でしたが、人間の出来はまったく違うと影で噂されていました。





すれ違う二人


この後二人のそれぞれの子供があんな事になるなんて、この時は知る由もありませんが、こういう邂逅もあったかも知れませんね。




アスランは勉強の甲斐あって18歳でバカロレアに合格し、お父さんから褒められ、19歳の大学入学まで1年間は好きにしていいとお墨付きをもらいます。

期限付きではありますが思いがけず自由を手に入れたアスランは、街をぶらついて偶然入った古書店で、あの日記帳を見つけるのです。





何か記念に買って帰ろうとして、手に取ったら日記帳でした


結核という病にかかり、チロルの山中で療養した日々はまだ若いアスランに死生感を養わせました。

人は過ぎて行く時間に対して無頓着です。

それは時間は無限にあると思っているから。

アスランは、同じ時はもう二度とないのだと言う事を身を持って感じていました。

若くしてそんな事を感じていたアスランが、私は切ない気がします。






でもアスランはいつも明るく優しい


アスランの家で小間使いとして働くリデルは、主人思いで秘かにアスランを慕っています。

誰からも愛されるアスラン。

いよいよパリへ行き、バトゥール家の長男として独り立ちする事となります。








アスランをパリで待っていたもの。


それは、自分の運命を変えるような女性との出会い。


恋でした───